こんにちは!
リーマン建築士の「たけし」です!
このブログでは、
H29年度に学科・製図ともに一発合格した私が「やってよかった」ということを紹介していきます。
今日のテーマは
【「近代までの日本の住宅の変遷」】
覚えることが多い一級建築士試験は、深く覚えすぎるとハマりますww
ですから、
なるべくざっくりと覚えてしまう方が得点を取りやすいです!
今日は「近代までの住宅の変遷」について
ざっくりお話ししていきます!
昔から近代にいたるまでの住宅の移り変わりを簡単にまとめると
以下のようになります⇩
農家住宅
大昔の日本は農業が生活の中心にあり、集団で助け合って生活してました。
そのため家に大勢集まったりできるように、
仕切りを取り払えば大空間になるような「廊下の無い間取り」が主流でした!
農家住宅は「廊下の無い間取り」
農家住宅の代表的な間取りは「三間取り」や「四間取り」です!
「三間取り」は、
このような間取りです⇩
「四間取り」は、
このような間取りです⇩
三間取りと四間取りの違いは、居間が2つに分かれているか1つだけかの違いです!
町家住宅
人が商売を始めるようになった頃、人が往来をする”通り”が登場して、
住宅同士が繋がった長屋のような家が誕生してきます!
”通り”に面したところから入るので、
奥に行くための「通り庭」と呼ばれる通路が家の中に誕生しました!
町家住宅は「通り庭」と呼ばれる通路がある
通り庭にはキッチンがあって土間のような役割を果たしています。
奥には「庭先」と呼ばれるサービスヤード(洗濯物を干したりする庭)があります!
町家住宅の代表的な間取りは
このような間取りです⇩
中廊下型住宅
明治後期から大正にかけては「中廊下型」が主流になりました!
家の中に”使用人”を抱える人も多くなったので、部屋数が必要になったので、
廊下を真ん中に配置することで、合理的に部屋を取れる形が好まれるようになりました!
中廊下型住宅は「合理的な部屋配置が可能」
中廊下を挟んで
・南側に家族の部屋(和室)
・北側にキッチンや便所や使用人の部屋
・玄関脇に応接間(洋室)
という間取りが一般的でした!
中廊下型の代表的な間取りは
このような間取りです⇩
明治以降から洋風の部屋も登場してきましたが、
そういうお部屋はお客様をお通しする応接間的な役割がほとんどです。
普段の生活はまだまだ和式が主流で、
生活する空間は和室にしている家がほとんどでした。
ちなみに余談ですが、
”ちびまる子ちゃん”の家も中廊下型住宅ですww
(ホントに余談です、忘れてくださいねww)
食寝分離型住戸
第二次大戦後の1945年以降(昭和20年)以降には、
日本は深刻な住宅不足に陥りました。
それを解消するために、
規格型の公営住宅(行政が造る集合住宅のこと)が建設されました。
規格型の公営住宅を作るにあたり取り入れられた考え方が「食寝分離」です!
「食寝分離」とは、
食べるところのダイニングキッチン(DK)と
寝るところの寝室などのお部屋が分かれた形です!
2DKや3DKといった「n+DK」という呼び名ができたのがこの頃です!
食寝分離型住戸は「戦後の公営住宅で生まれたn+DKの住戸」
「食寝分離型住戸」の代表例はなんといっても「51C型」です!
「51C型」とは、
1951年に東京大学建築学科の吉武研究室が「公営住宅標準設計51C型」として提唱した、
戦後の日本の集合住宅の原型となったもののことです!
ちなみに、
51C型の呼び名の由来は、
・1951年の”51”と、
・A(16坪)・B(14坪)・C(12坪)の広さのうち”C”の広さだった
ということから、
51C型と呼ばれるようになりました。
51C型の代表的な間取りは
このような間取りです⇩
都市型住宅
高度成長期(1950年~60年代)を迎えるようになると、
都市部に人口が集中するようになりました。
人口が集中した都市部では、
住宅を建てれる敷地がどんどん狭くなり
空間を有効に使える間取りの工夫が用いられるようになります!
例えば、
部屋を仕切らずDKや部屋を一室にした「一室型住宅」
上下階のつながりを有効活用した「立体最小限住宅」
建物中心にキッチンや水回りなどのコアを集約させた「コア型住宅」
中庭をつくりプライバシーと採光を確保する「コートハウス」
このように狭い敷地を有効に使える間取りが登場してきました!
都市型住宅は「狭い敷地を有効活用する間取り」
ちなみに、
「一室型住宅」「立体最小限住宅」「コア型住宅」「コートハウス」
それぞれの特徴をざっくり言うと、下の通りです⇩
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